地権者交渉を通じて触れる人の生きざまと死
人はみな生まれた瞬間から死に向かって生きている。
金沢の風力開発プロフェッショナル集団
リアル・デベロップメント株式会社です。
今日、絶句する訃報を受けました。
つい先日、新年のご挨拶にお伺いした時は、なにも変わらずお元気だった地権者様。
風力発電事業の候補地の地代の振込みが完了し、入金のご確認をお願いする電話をしたら、入院されたと聞き、驚いたのが先週の事。
少し落ち着いてからお見舞いに伺おうと、再度、電話したところ、息子さんが電話に出られて、
「入院後に容態が急変して、先日、亡くなりお通夜、
葬儀も無事に終えました。」
えっ・・・。
あまりの衝撃に、頭が真っ白になりました。
「大変な仕事やのう」
「ほやけど、やらんなんことは、やらんなん」
「がんばれよ!」
そう、笑顔で迎えて頂き、
さまざまな人生の生きざまについて教えて頂いた地権者様。
ありがたいご縁に、これからさまざまな教えを頂けると期待に胸を膨らませていた矢先の訃報でした。
人生125年の時代だから、
まだまだ長生きしてくださいよ。
というと、
「俺はぴんぴんコロリで逝く。」
「病院は嫌いなんや。」
「あんなベッドでただ生きてるなんてつまらん。」
「子どもたちにもめんどうかけん。」
そう、子供のように無邪気な表情で冗談のように話されていたじっちゃん。
(敬意を込めてこう呼ばせて頂きます)
本当に話されていたとおりの生きざまですね。
人はみな生まれた瞬間から死に向かって生きている。
じっちゃんは、たくさんの土地を持っていた。
ご先祖は林業や農業で荒地を切り拓いて土地を使ってきた。
日本の戦後復興とともに、山地や農地の開発が進み、その使い方は、時代ごとに移り変わってきた。
わしは、電力会社の普及や、携帯電話の普及、工業団地への変化に太陽光発電などの再生エネルギーへのシフト。その時代の動きに応じて、いろいろな人にご縁ができた。
個人としての視点よりも、大きな視点で動く事が大切だと、健康のために農業を続けながら、新たな取り組みに協力できることがうれしいんじゃ。
人間なんか、みんないつか死ぬんじゃ。
この年になると、今日も生きていたことに感謝じゃ。
身体が使えるうちに、どう使うかと向き合い、明日、目が覚めなくても悔いがないように命の炎を燃やすんじゃ。
いつ、その終わりが来るかはわからん。
じゃから、心配してもしょうがない。
肉体は借り物じゃから、やりたいようにやるために使えんようになったら、お役目が終わるときなんじゃ。
あんちゃん、
この時期に、風力発電の話を持ってきてくれて、おいも、まだ、なんかできることあるかもしれんなと感じとるんじゃ。
でもな、わしは、長年連れ添っているばぁちゃんが、身体の調子が悪うなって、家事ができんようになって、よーく考えたら、命あるかぎり、ばぁちゃんとの時間を楽しもうと思ったんや。
でも、施設に入れるのは嫌じゃったから、農業を組合に任せて、二人でいる時間を増やすことにした。
わしは、ばぁちゃんの大好きなみかんの缶詰の在庫は絶対に欠かさない。
あと、猫が大好きやから、玄関の戸に穴をあけて、自由に猫たちが出入りできるようにした。
すきま風が入って寒くてごめんな。
身体はなくなっても生きざまは引き継がれる
今朝、事務所の神棚の榊が花をつけた。
出社して、なんとなく山の香りがしたのは、この榊の花からのものだった。
スーパーから買ってくる榊が花をつけるのは見たことがない。
当社の神棚の榊は、阪田社長のお父様が山から採ってきてくれるものだ。
じっちゃんは気にしてくれて、メッセージを伝えるために見せてくれているんじゃないか?
そんな感じがした。
目に見えるものはほんの一部でしかない。
目に見えない世界に、大切な本質がある。
言葉で伝わるのはほんの一部だけ。
ご縁には意味がある。
だから、言葉の奥にある「想い」を受け取りなさい。
これは、人によって受け取り方に違いが出る。
あんちゃんの仕事でも、いろいろあるやろう。
でも、生きざまは、肉体が消えても消えない。
その生きざまが共鳴する人間の間で、脈々と広がり続けるんじゃ。
覚えとけよ。
短い時間でしたが、一生忘れません。
心からご冥福をお祈りします。